人生の最期の準備をしています(いざという時を意識して生きる)

40代で健康ですが、去年から人生最後の準備を始めています。「そんなこと考えて生きていたら楽しくない!」という意見も聞きますが、増え続ける災害も明日は我が身です。

また、個人的に40代にもなると、近しい人が次々に先立ち、残された家族が「故人はこうしたかったんじゃないか、ああしたかったんじゃないか」と悩む姿を目にします。さらには相続などでもめる場面に遭遇しているうちに、自分の最期はどうなるんだろう、と思ったのがきっかけです。

また、以前、緊急の事態に遭遇した時、家族の事を真っ先に思い出したのですが、その他に脳裏をかすめた事があります。

「あれどこに置いたっけ・・・処分しておくんだった!」

(※一般人が個人的な意見を書いた日記です)
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本当によかった。誰にも見られなくて・・・・
今でも当時を思い出しては胸をなでおろします。

最近、終いかた(しまいかた)を意識して生きる人が増えてきているようで、終活(しゅうかつ)という言葉もじわじわと浸透してきたように思います。最近ではデジタル遺品(遺産?)も問題になっていますね。

人間は必ずいつかは終りがあって、例外はありません。人にはそれぞれの人生があって、千差万別ですが、「一生には終りがある」ことだけは全員一緒。

その準備を、なぜかタブーなもののように感じてしまう私たち。
その状況が変わっていくのは、とても良い事だと思います。

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いざというときのために、誰かに見られて困るモノを今すぐ何とかしよう

人間というものは、最後の最期まで、自分の弱みや恥、プライド、もしくは誰かの秘密、、、、なんでもいいのですが、何かしらこだわっているモノがあるように思います。

自分の事でこだわりは無いという人でも、大切な誰かの事を心配して、それが気がかりで先立てないという人も。

そして誰にでも、1つや2つ、秘密があるものだと思います。

管理人は、危機迫る状況で「あれ処分しておくんだった」とか、そんな事にこだわる自分に本当に驚いて、事態の最中に大きな汗をかきながらも笑いがこぼれました。

そして生きていることに感謝しましたが、その後、何よりもまず、その ” あれ ” を処分しました。

そしてさらに後になって考えたら、他にもイロイロと自分だけの中にしまっておきたいモノを思い出して、無心でシュレッダーを買いに走り、しばらく家にこもって、手がつりそうなくらい色んなモノを処分しました。

そしてPCの中の情報を消したり違うものに置き換えたり、携帯電話(当時)の見られたくない情報を全消去。。。べつに機密情報などを扱う仕事などしていたわけではありません。他の人から見たら大したものでは無くても、おかしなもので人には見られたくないんですね。

その後イロイロな人生の転機が立て続けに起こりまして、秘密の処理どころでは無かったのですが、去年やっと少し落ち着いて、いざというときの準備して置こう!となったワケです。

そしてもしもの時のための手紙のようなものを書き始め・・・今も思いついたときに書き貯めています。

例えば「自分に何かあった時には遺影にこの写真を使ってください」とか・・・

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最期の準備を始めると、生きている間に何をすればいいのかが見えてきた

最期を意識すると、人生の短さが実感できて、自分が生きている間に何をすればいいのかが見えてきました。なにやら目的が出来たような感じです。

管理人の場合は、おかげさまで現在のところは体も自由がきいて、お金はなくても屋根のある家に暮らし、なんとか食べていくことが出来ています。

以前、一文無しのヤドカリ状態になった時でも、若ければ(当時)生きてはいけるものだなと思いました。

自分には時間があるのだから、その時間が有る間にしておきたいことが、次から次に浮かんできます。すると1日24時間では足りません。

もちろん、生きている間にしたいことは人によって違いますから、忙しく動き回ることだけが、最後の準備とは限りませんよね。人によっては今まで忙しく生きていきて、これからしたいことが、「ゆっくりする事」だったりすると思います。

管理人の場合は今まで ぼーーーーーーーーーーっ と生きてきたので、人生終盤は忙しく動くことになりそうです。

伝えるべきことを伝えるのも最後の準備かも

まだ、大切な人にお礼を十分に言えていないし、傷つけてしまった人に謝っていない事も。また、大好きだとか、愛しているとか、もしくは疑問に思っている事などなど・・・とにかく今のうちに伝えるべきことがある場合は伝えておくのも、場合によっては必要かもしれません。

相手がそれをどう受け止めるかは分かりませんが、相手を傷つける内容でないなら伝えたいですね。(相手の心を傷つけてでも言うべきことがある人も中にはいるかもしれませんが・・・)

誰かに発見されて困るものを処理したら今までに無い達成感を感じた話

さて、管理人は誰かに見られて困るモノを半分以上処理できて、言葉では言い表すことの難しい感覚を感じてしまいました。

それはまるで、この世とあの世の隔たりを超えて時間を獲得したような感じです。
(正気です)

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いや、まだ半分残っています。。引き続き処理を続けます・・・

とにかく、写真整理とか、財産整理とか、人によっていろいろだとは思いますが、しておきたい事はしておくと、その後、何とも言えない充実した人生が送れる気がしてきました。

自分だけでなく、誰かのために

人間というのは何かが起こらない限り、終りを遠いもののように思いがちで、管理人自身も、歳をとったらおとずれるものという感覚で生きていました。

でも、なぜか年功序列ではなく、昨日元気だった人が今日いなくなっていたりするんですよね。

災害も増える一方で、明日は我が身。

そして、今もどこかで誰かの大切な誰かが闘病生活を送っています。

そして思うのが自分がいなくなった後、大事な誰かはどうなるのか・・・・

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そう思うと居てもたってもいられません。自由に動けるならば、大切な誰かがもしも一人で生きていけない状態の場合、その誰かが生きていける仕組みを作らなくてはいけません。

また、管理人の場合は、以前一文無しになった時にわずかな荷物だけになってしまい、後は全て処分されてしまったので、それほど荷物は多くないのですが、それでもここ数年の間にまた荷物が増えました。物を処分し過ぎて困ることもあるので、よく考えてある程度は残しつつ、無駄に物を増やさないように生きたいです。

葬式も墓も不要と書き残していますが、とは言え残された家族はなにかしたいもの。管理人は健康体ですから、動けるうちに葬儀代と供養費はなんとしても作っておきたいです。(ちなみにまだ貯められていません。貯めきれずにいなくなったら・・・努力はしたということで家族も理解してくれるはず・・・)
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人生最後の準備が家族のためになると信じて

自己満足になるかもしれませんが、準備しておくことで、家族に「あの子は出来ることはしたんだね」と思ってもらいたい。
いろんな理由で本意で居なくなってしまう人があまりに多く、「あれもしたかっただろうな」「これもしたかっただろうな」と残された人は本当に悩みます。

準備自体が例えば「好きなことをする事」かもしれないし、何か事務的な作業かもしれません。その人にとって、これで悔いはないだろうという毎日が送れていればいいのだと思います。

冒頭で「そんなこと気にしていたら楽しくない」という意見も聞く、と書きました。
人生楽しもう!という思いも、ある意味、何かあった時には悔いのない人生となり、いい意味で準備している事になるのかもしれません。

だからと言って自分が生きるための備えを忘れたくない

ところで、「終いかた、最期のこと」を考えて準備すると同時に、思ったより自分が長生きした時の事も頭に入れておきたいです。

生きてる間に楽しもう!という流れで購買意欲が増してしまうと、老後の備えがおろそかになるのではという不安が残るのです。長生きされている人生の大先輩の中には「こんなに長生きしてしまって」なんて謙虚なご意見もあり、その方の年齢に達しなければわからない心情がおありのようです。

こうした先輩方のご意見を聞くと、やはり蓄えは絶対に必要。戦後を生き抜いた方の意見はやっぱり聞くべきだと個人的に思います。以前投資に興味を持ったことがありましたが、「やっぱり増やそうと思わず普通に現金を銀行に預けておくべきだった」という人(投資した額の大部分を失った人)が複数名いました。とはいえ、貯金はなにも銀行だけではない時代。銀行の一部の業務は将来なくなる方向に向かっているという意見が増えてきました。というより、おそらく一般の私たちも今後は銀行との付き合い方が変わってくるのだと思います。さらには物価の上昇によって円の価値は下がる一方。仮想通貨(デジタル通貨・暗号通貨)という手もありますが、なにぶん詐欺が多くリスクが付き物。しかし成長分野であり、今後いやでもかかわりを持つことになるはず。ならばよく勉強して必ず分散投資し、保管方法や保管場所などもいざという時に信用できる誰かに託しておきたいものです。

そして出来れば長生きしたいので、災害時の備えも忘れたくはありません。

やっぱり備えあれば患いなしだと思うこの頃です。





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